シラー•ペルビアナSilla peruviana との出会いは散策中の小さな公園、一目惚れでした。「なんて美しい!」。ラベンダー•ブルーの輝き、円形に咲き誇る複雑で高貴な姿に、一瞬で魅了されました。
🌸歴史内容は一部カリフォルニア園芸協会 Sean A. O’Hara氏の記事を参照しました。読解の誤りがある場合はご了承ください。
ペルビアナの故郷は、スペイン、ポルトガル、イタリア、北西アフリカなど地中海沿岸にあるという。こんなゴージャスな花が、そのへんの道端や牧草地に自生しているなんて想像できますか? この美貌はいったいどこで生まれたのでしょうか。
遡ること35億年以上も前、光合成を行う生きものが初めて地球上に現れ、植物の先祖ともいわれています。 ところ地中海沿岸といえば、紀元前より古代ギリシア•ローマ時代の文明が栄え、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が交差する。植生も多様であったに違いありません。 35億年以上も前から引き継がれた植物の種が環境変化を経てやがてカタチとなり、人の目にとまる姿に、そこに在る。 先住民によって、なんらか通称で呼ばれていたとしても不思議ではありません。
ペルビアナの本当の呼び名は知る由もありませんが、1592年、フランス生まれの植物学者カロルス•クルシウスCarolus Clusiusによって”Hyachinth stellatus peruanus”と名付けられました。ラテン語で、ペルー産の星を飾ったヒヤシンスといった意味合いでしょうか。 ベルギーアントワープガーデンのMunichaven氏より、ペルーから入手したと伝えれたこの植物の複製を贈られたので、あえてペルー産と名前に入れたのかもしれませんね。 このとき、ペルビアナはヨーロッパ大陸に渡っていたということでしょう。
言い伝えでは、いまから約300~400年前、1600年代(17世紀)にスペイン南部で発見され、球根がイギリスに運ばれた。” The Peru”という名前の船に乗せられていたため、ペルビアナ(peruviana =ペルー原産)と名付けられたとか。 このときすでに、種はベルギーにあったはずですが、イギリスに渡った逸話のほうが世に広まっていったようです。
1607年、ギヨーム氏Guillaume Boelはスペインからこの種を、イギリスの植物学者ジョン•パーキンソンJohn Perkinson に送っています。 パーキンソンは、これが(クルシウスによる)Hyacinth stellatus peruanusと呼ばれていることを知りながら、ペルーではなくスペインから届けられたし、実際、自生する場所も知らなかったけれども、より適切な名前を与えたようです。 “Hyacinthus Stellatus boeticus”、スペイン語でStarry Hyacinth 星のように輝くヒアシンスという意味だそうです。
イギリスの植物学者ジョン•パーキンソンJohn Perkinson(1567-1650)は当時、海外の珍しい植物を収集していました。 1500年代(16世紀)からイギリスは海外進出に乗り出し、茶葉や香辛料など我が物にしてきましたから、植物も同じように扱われていたのかもしれませんね。
それから約160年後の1753年、スウェーデンの植物学者リンネCarl von Linneは、クルシウスの名付けた植物名を引用しました。 リンネがパーキンソンの名付けた植物名を知っていたのか否か、不明です。
現在、この植物はペルーに自生していないにも関わらず、ペルー原産が名前に入っているSilla peruvianaと呼ばれていますが、クルシウスの名付けたペルー原産は誤りだったと正されたのは1804年のこと。 最初に名付けられたのが1592年ですから、実に212年後に明かされたのですね。
太古の大地にペルビアナの種が宿り、年月を経てすーっと伸びた葉が幾重にも茂り、アイボリーの細長い苞にくるまれた蕾が中央に結実します。 苞の隙間から見えるディープバイオレットの小さな蕾は、40-100個も付けるそうです。 下から順に開花して満開になると、小花全体で円錐状を形作り、真上から見るとまるで曼荼羅のような、そこにはペルビアナの宇宙が完成します。
ペルビアナに魅了されてやまないのは、圧倒的な存在感と、その世界観を放つ生きざま。 誰がなんと名付けようと、その美は揺るぎない。それが貴女シラー•ペルビアナの宇宙なのかもしれません。
こんにちは💜❣️
お花のインパクトも然ることながら 解説の素晴らしさupも一枚一枚 感動しました!ラベンダーブルーに癒される今朝です❣️