下関で日和山といえば関門海峡を望む丸山町の日和山。
しかし!日和山はもう一つあった⁈地元民ですら知らない謎の山、伊崎日和山に潜入、登頂して来ましたよ😎
2023年4月15日、再度訪れたので追記します。
とある美容室💇♀️美しい人がより美しくなるのを待つ間、ふらりと散歩に出た私の前に魅惑的な路地が。行くしかないでしょ!
晋作もそぞろ歩くやしのぶ道 猫凡
急に上り坂。下関はこんな路地がおいいんよ(訳:多いのです)💦
トウワタにアシナガバチ。トウワタの学名はAsclepias curassavica。ギリシャ神話の医学と癒しの神アスクレピオスに由来します。薬として使っていたのでしょうね。
これがアスクレピオスさん。蛇が巻き付いた杖がトレードマーク。棒でメジナ虫を巻き取って取り除く行為の寓意ではないかと思われます。メジナ虫症はアフリカ中心に猛威を振るった寄生虫病で、幼虫を含むケンミジンコのいる水を飲むと感染が成立、人体内で1メートルにもなる成虫となり、足を熱く腫れ上がらせて水に浸したいという気持ちにさせ、水を感じるや皮膚を破って産卵するのです🥶現地の医者はその刹那、棒で虫を巻き取り、逃げられないようにして数日掛けて引っ張り出すらしいですよ。
タマスダレ(ゼフィランサス)。母が好きだったなぁ‥
って、まだ生きてるよ( 'д'⊂ 彡☆))Д´) パーン
お、なんか良い雰囲気。登山道みたい。
彼岸花が一輪。
遠くに下関のランドマーク、海峡ゆめタワー。
と、突如竹林現る!海晏寺裏の墓場の横です。寺の敷地かな?
下関旧市内にこんな竹林があるとは‥
で、これ完全に山道ですよね。ということはこれがあの「王城山」なのか⁈
『王城山は、下関市伊崎町付近小門の北岸にある丘陵である。むかし、平知盛がこの山に築城し、安徳天皇を奉じて拠ったという伝説から、王城山の名が残ったと伝えられている。また、平家の落人たちが壇の浦戦後この地にもどり、陸はこの山に、海は彦島の浦に拠って勢を整え、源氏に対し、最後の抵抗を試みようとしたが、遂にそのこと成らず四散して行ったとも伝えられる』http://hicoshima.blog.fc2.com/blog-entry-19226.html?sp
竹林は続くよ、どこまでも。
雑木と竹のせめぎ合い。どっちも頑張れ!
人っ子一人おらず。聴こえるのは風に鳴る乾いた竹の音のみ。
竹の鳴る乾いた音に秋を知る 猫凡
木漏れ日が気持ち良い✨
ここって本当に日本?
抜けたぁ〜٩(๑˃̵ᴗ˂̵๑)۶ °
ところで、ここはいったい何処?スマホの地図アプリで「現在地」と打ち込むと‥
ほお、ここなんだ。便利なものですねぇ。
どうやらここが山頂らしいぞ、とささやかな達成感に浸っている私の眼前に石碑登場。「毛利元徳公督軍碑」とあります。誰⁈調べましたよ📲
毛利 元徳 / 定広(もうり もとのり / さだひろ)は、幕末から明治時代初期の大名。毛利氏28代当主。長州藩14代(最後)の藩主。のち公爵ーウィキペディアより転載。
!!!Σ(゚Д゚ノ)ノ 長州藩最後の藩主さんでしたか!そりゃ失礼いたしました
ちなみにここには吉田松陰も視察に来たらしい。関門海峡の出入り口、軍事的に重要なポイントだったのでしょうね。
『吉田松陰の「廻浦紀略(嘉永2年=1849)」には、彦島や下関を6日間に渡って視察した記述に、伊崎や日和山のことが出てきます。
「7月18日
宿の関屋松兵衛宅のすぐ近くにある厳島の祠(※伊崎の厳島神社)に参拝し、すぐ裏手に続く日和山(※伊崎の日和山)にのぼった。
さらに山越して海浜に出、俗に言う身投げ岩についた。
ここは会所の軽卒(※下級の武士)が集合して、沖の海上を監視するところという。
そこから筋が浜を過ぎて大坪の金比羅山の狼煙場に登った。
ここは武久が目の前に見下ろせ、遙か北浦の海が見える。
金比羅を下ってから会所に行き、兵器庫を検視した。
宿に帰って昼食をとり、小舟で出発して丸山八幡宮の下に着船し八幡社に参拝した。ここから船を帰して、徒歩で神社の左手の道を下り、阿弥陀寺(※今の赤間神宮)に行った。
寺で絵説き(※絵解きの屏風が宝物館に残っている)を聞き、宝物を見た。
近くの伊藤杢之助(※いとうもくのすけ・下関の本陣、大年寄)の家に行き、頼龍三郎にめぐり会い、共に小舟に乗って潮にそうて下り、宿に帰った。
7月19日
朝、宿を出て、(※伊崎の町筋を通って、小門海辺にある)鰯松の下を過ぎ、
小門の御船倉を検視した。船は十三隻あった。
午後、会所に行き別れを告げ、伊崎の家もたずねた。
伊藤の家では数時間というもの話し込んでしまった。
その折り、伊藤が「関、新地、伊崎、竹崎合わせて人家は一万戸、寺は三十五カ所ある」といった。
7月20日
船で赤間関を出発した。小瀬戸の狭い海峡を通り過ぎた。
このあたりは、海岸が険しい岩続きで赤田村までずっとそうだった。
綾羅木から安岡を過ぎ、吉見浦に着くまでは海辺は浜つづきの平らかさである。
馬関の形勢は沿岸一帯の人家が櫛の歯のようにぎっしりと並び、その後面は山である。ただし高い山や険しい山はない。』
http://kmy4.livedoor.blog/archives/1846955.htmlより転載。
なぬ⁈「日和山」⁇何と、下関には日和山が二つあった‼︎ ここが伊崎日和山、高杉晋作の銅像が立っている有名な方が丸山日和山。うーむ、全然知らなんだ‥
さらに調べを進めると、驚愕の事実が😱
「日和山」は全国に無茶苦茶いっぱいある‼︎
『日和山(ひよりやま)は、日本各地にある山の名前である。船乗りが船を出すか否かを決める際に日和を見る(天候を予測する)ために利用した山で、港町に多い。』ーウィキペディアより転載。
下関市には他にも阿川と特牛に日和山があるから、合計四つも日和山があることになる‥
これ、下関人でも絶対知らんっちゃ😝
さあ、あんまり夢中になってると妻を待たせてしまうぞ💧クサギの実に目もくれずに下山(撮ってるやないか〜い👊)
違う道で降りようとしたら、もう〜、
見ずにいられるかぁ?😩
厳島神社+鈴ヶ森稲荷神社です。
古い‥
来歴。壇ノ浦で惨敗した平家及び安徳天皇との関わりが深いです。
敷地からの下関漁港の眺め。
有名なあの元乃隅神社を彷彿とさせ・る?
神社のすぐ下が海晏寺。そこの銀杏はバスッと切られたのに逞しく復活していました🌱
これが福聚山海晏寺。ここも平家ゆかりの寺です。
ちょうど間に合った!ここまで約20分、
今回もお付き合い下さってありがとうございました😊
2023年4月中旬、雨の中再度行ってきました。濡れた竹も風情ある!
足元には美しい花。
これはもしかして、姫ではない方の、本家のオドリコソウ⁈姫にもまして美しいではありませぬか✨
金鳳花か何かも沢山咲いていました。雨に項垂れた姿もまた良し☔️
項垂れてただやり過ごす俄雨 猫凡
伊崎日和山頂上から、今回は真裏に下って行ってみます👟
我が彦島と本土伊崎をつなぐ彦島大橋が見えました。川のように狭いのは小門(おど)の瀬戸、通称は小瀬戸。昔は夜、篝火を焚いた小舟が多数浮かび、獲った魚をその場で供して一献傾ける遊びが盛んだったそうです🍶🐟
民家の藤を熊蜂が夢中で貪っていました🐝
向こうにも素晴らしい藤が🤩寺ではなく普通の民家のようです。
山を降りると昔ながらの路地に酒屋さん🍶
関門では酒屋の店先で一杯やることができます。角打ちというのですが、発祥は北九州と言われています。八幡製鉄所で夜っぴて働いた人たちが仕事帰りに一杯やる場所に選んだのが、朝から営業している酒屋だったのです。もともとは升の角に口を付けて飲むことから「角打ち」だったのが、転じて現在の意味になりました。
看板に年経た味が滲みます(〃´-`〃)
ねこも雨宿りかな⁈少々冷えてきたし、妻の待つ美容室へ急ごう≡︎⊂︎( ^-^)⊃︎
妄想散歩できましたー😆🎶
母は生きてるよ!のひとりノリツッコミお見事です👏😄
楽しかった〜🎶