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くわの木の一覧

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Kazyan
クワ:桑:mulberry (tree) 第二弾:桑シリーズ❣️ GSの皆さん!よく観てください⁉︎ “This is a mulberry baby!!” ブドウの房の実のようなものが、いきなり桑の実の形状をして、新芽の袋から弾け出して姿を見せて、少し形状もハッキリしてきました。 我が万葉の藪庭を、陣取って大きく育っている桑の木に、桑の実の赤ちゃんが育って、既に実の形をしています。 毎年少しずつ大きくなって、高さ5m以上、横幅の広がりは10m近くあり、桑の実もたくさん成り、いつも採っては生で食べたり、蜂蜜漬けやジャムを作って食べています。 最近では、あまり見かけられなくなってしまった桑の木ですが、どこまで大きく育つか?先行きが楽しみです。 ☆神話・伝承 古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血を桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている。 ☆桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射た。 起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、日本に伝わって男子の厄除けの神事となった。 桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢。 養蚕発祥の地、中国においてはクワは聖なる木だった。 地理書『山海経』において10個の太陽が昇ってくる扶桑という神木があったが、羿(げい)という射手が9個を射抜き昇る太陽の数は1個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。 太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。 詩書『詩経』においてもクワはたびたび題材となり、クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。 小説『三国志演義』においては劉備の生家の東南に大きな桑の木が枝葉を繁らせていたと描かれている。 日本においてもクワは霊力があるとみなされ、特に薬効を備えていたことからカイコとともに普及した。 古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、鎌倉時代喫茶養生記においては「桑は是れ又仙薬の上首」ともてはやされている。 ☆桑原、桑原 雷よけの呪いとして広く使われた言葉であるが、最も知られている由来は桑原村の井戸に雷が落ち、蓋をしたところ雷が「もう桑原に落ちないから逃がしてくれ」と約束したためという説があり、これにはクワ自体は関わりがない。 しかし、諸説の中には宮崎県福島村(現在:串間市)でクワの上に雷が落ち、雷がケガをしたので落ちないようになったという説、沖縄県では雷がクワのまたに挟まれて消えたため雷鳴の折には「桑木のまた」と唱えるようになったという説もある。 ☆ことわざ・慣用句 滄桑の変、桑田滄海ともいい、クワ畑がいつのまにか海に変わってしまうような天地の激しい流転の意。 神仙伝が出典であり、仙女の麻姑が500年間の変化として話した内容から生まれた。 月日の流れの無常を示す言葉として、唐代の劉廷芝の詩にも使われている。 蓬矢桑弓(ほうしそうきゅう)元々は上記にある中華・日本においての男子の祭事や神事であるが、払い清めをあらわす言葉の比喩として万葉集や古事記にも用いられ、「蓬矢」・「桑弓」それぞれ単独でも同じ意味を持つ。 ☆桑中之喜(そうちゅうのき、そうちゅうのよろこび)畑の中で男女がひそかに会う楽しみのこと。 中国では、桑畑の中や桑の木を目印としてその下で逢引をしていたと言われ、『詩経』鄘風(ヨウフウ)篇には桑畑で美女を待つ「桑中」という詩が記載されている。 永井荷風の随筆にも、色事について書いた「桑中喜語」がある。 ☆利用 日本ではクワ/マグワの根皮はソウハクヒとも呼ばれ成分本質 (原材料) が専ら医薬品に指定されている。 葉・花・実(集合果)は「非医」扱い。 ☆生薬 ログワの根皮は桑白皮(そうはくひ)という生薬である。(日本薬局方による) 利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、五虎湯(ごことう)、清肺湯(せいはいとう)などの漢方方剤に使われる。 また、葉を茶の代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は天ぷらにして食べることもある。 桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれていることが近年の研究で明らかになった。 DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種、イミノ糖)であり、小腸において糖分解酵素のα-グルコシダーゼに結合する事でその活性を阻害する。 その結果、スクロースやマルトースの分解効率が低下し、血糖値の上昇が抑制される。 クワを食餌とする蚕のフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も同様の効果がある。 ☆果実 果実は桑の実、どどめ、マルベリー (Mulberry) と呼ばれ、地方によっては桑酒として果実酒の原料となる。 その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有する。 旬は4月~5月である。 キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒くなる。 蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には十分な水洗いを行う必要がある。 また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込む事も行われてきた。 なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても用いられる。 発生学では動物の初期胚に桑実胚、藻類にクワノミモ(パンドリナ)などの例がある。 ☆養蚕とクワ 桑を栽培する桑畑は地図記号にもなったほど、日本で良く見られる風景であった。 養蚕業が最盛期であった昭和初期には、桑畑の面積は全国の畑地面積の4分の1に当たる71万ヘクタールに達したという。 しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、生糸産業全般の衰退の中で、株を抜いて畑等に転用されたり、放置された桑畑も多く残る。 クワの木は成長が早く、大きく育つが、幹の中が空洞であり、若い枝はカイコの餌にする為に切り続けてきたので製材できる部分が少ない。 養蚕業が盛んだった頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑であるが、樹木としての利用は前述の様に、幹の中が空洞で製材できる部分が少ない故に、養蚕以外でのこれといって有益な、あるいは利益の高い利用法が無い。 放置された結果として、現在森の様になっている畑も多い。 しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、これを整理することを物理的に更に難しくしている。 毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂慮すべきことである。 このように養蚕業が衰退する中、利用される桑畑も減少し、平成25年2万5千分の1地形図図式において桑畑の地図記号は廃止となった。 新版地形図やWeb地図の地理院地図では、桑畑は同時に廃止された「その他の樹木畑」と同様、畑の地図記号で表現されている。 *他方、近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもいる。 ちなみに蚕が食べるのはヤマグワである。 ☆木材としてのクワ クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば工芸用に使われる。 しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。 特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島や三宅島で産出される「島桑」であり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られる。 江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられた。 国産材の中では最高級材に属する。 また古くから弦楽器の材料として珍重された。 正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。 三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして愛用されたが、広い会場には向かないとされる。 なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり、1861年(文久元年)には幕府からこれを奨励する命令が出されているが、普及しなかったようである。 桑の樹皮から繊維(スフ)を得る取り組みは、第二次世界大戦による民需物資の欠乏が顕著となり始める1942年(昭和17年)ごろより戦時体制の一環として行われるようになり、学童疎開中の者も含め全国各地の児童を動員しての桑の皮集めが行われた。 最初民需被服のみであった桑の皮製衣服の普及は、最終的に1945年(昭和20年)ごろには日本兵の軍服にまで及んだが、肌触りに難があった事から終戦と共にその利用は廃れた。 ☆製紙原料 現在の中国新疆ウイグル自治区にあるホータン周辺の地域では、ウイグル人の手工業によって現在も桑の皮を原料とした紙(桑皮紙)の製造が行われている。 伝承では、蔡倫よりも古く、2000年以上の製紙歴史があると言われているが、すでに宋の時代(12世紀頃)、和田の桑皮紙は西遼の公文書等で使用されていた。 新疆では、清及び民国期の近代に至るまで、紙幣や公文書、契約書等の重要書類に桑皮紙が広く使用されていた。 中国の元王朝では、紙幣である交鈔の素材としてクワの樹皮が用いられた。 中国広西チワン族自治区来賓市などでは、養蚕に使うために切り落とすクワの枝を回収して、製紙原料にすることが実用化されている。 新たに年産20万トンの工場建設も予定されている。 ☆害虫 カイコガとその祖先とされるクワコ以外にもクワを食草とするガの幼虫がおり、クワエダシャク、クワノメイガ、アメリカシロヒトリ、セスジヒトリなどが代表的。 クワエダシャクの幼虫はクワの枝に擬態し、枝と見間違えて、土瓶を掛けようとすると落ちて割れるため「土瓶割り」という俗称がある。 クワシントメタマバエもクワの木によく見られる。 カミキリムシには幼虫がクワの生木を食害する種が極めて多く、クワカミキリ、センノカミキリ、トラフカミキリ、キボシカミキリ、ゴマダラカミキリ等が代表的である。 これらのカミキリムシは農林業害虫として林業試験場の研究対象となっており、実験用の個体を大量飼育するため、クワの葉や材を原料としソーセージ状に加工された人工飼料も開発されている。 なお、オニホソコバネカミキリも幼虫がクワの材を専食するカミキリムシであるが、摂食するのが農林業利用されない巨大な古木の枯死腐朽部であるため害虫とは見なされていない。 我が万葉の藪庭では、桑の木蔓延ってきており、外からは殆ど見えない位にら周囲は草木だらけなので、青天井を見ながら、ビーチ用のベットをひいて蚊帳を張り、ミスフラワーたちを招待して、チョイとイタズラな【桑中之喜」の宴と洒落てもイイかな⁈ 4月8日の"🌕super moon"を観ながら.…⁉︎ 日本の各地では昼間の時間帯になり、ひょっとしたら、見れないかも知れませんが…? 夜は闇夜でも、ともし火のムードがあって男女の宴にはかえってイイかも⁉︎ 怖いのはカミさんと夜行性のマムシです。 どちらも噛みつかれたら、命の危険にさらされますから…クワバラ桑原.…鍬:クワをそばに置いて、「桑の木また」🙏を唱えるということになるやも知れませんネ⁈ 粋狂な風流人の気分で、酔狂しては、すぐ近くの派出所のお巡りさんに通報されて、御用かな? これは田舎者の、大馬鹿な粋狂者の、お噺しですょ、独り言です‼︎ これも認知症の初期症状なのかも知れませんが…まだ大丈夫なようですけど…⁉︎ 歌でも歌いますか? GSの皆さんは、はたしてご存知かな? ♪桑畑の歌をご紹介します🎶 【桑畑】作詞:門倉 訣/作曲:関 忠亮 1.桑畑の しげる葉は   亡き母の 背におわれ   苗植えた 昔から   とぶ鳥さえ なじんでたが 2.桑畑は 今荒れて   爆音は ワラ屋根に   さける程 たたきつけ   桑畑は 吹きさらし 3.桑畑は 握りこぶし   振り上げて ならび起ち   畑守る この私と   芽ぐむ春を もとめうたう 4.春になったら 枝を伐り   かおる葉を カゴにつもう   むく鳥よ 高く舞い   このよろこび 告げてくれ ♡1957年日本のうたごえ祭典記念創作曲の一つ。 基地反対の闘い「砂川闘争」の中から生まれた。 農民の生活のしなやかさとしぶとさ、そして楽天性を香り高く歌いあげる叙情歌。 1956年10月の米軍基地拡張に反対し断念させた砂川闘争から生まれた歌。 測量を阻止しようと東京・砂川町民と支援者たちは座り込み、警官隊の暴行にも屈しなかった。 この時、故郷への愛情を通わせ合う「赤とんぼ」の歌が夕映えに同かって合唱となった有名なエピソードがある。 まず、芥川也寸志、小林秀雄らの作曲組曲「砂川」が57年日本のうたこえ祭典で全曲初演され、さらに、その土地に育ち耕す者の人間像を膨らまそうと「桑ばたけ」が作られた。 初演は農村のうたこえ祭典におけるアルト内田るり子とピアノ間宮芳生。 バス歌手アルトゥール・エイゼンは78年、30周年記念日本のうたこえ祭典で日本の合唱団合同500人と「桑ばたけ」を共演したが、この歌のロシア語訳も手がけている。 ☆ 小生は、♪桑畑の…亡き母の背におわれ🎶の始まりだけしか知りませんが、何故だか記憶にあるのです。 桑の葉は言わずと知れた「お蚕サマ」のお食事です。 東京にモスラが出現したときに、桑畑が全滅した⁉︎……ということはありません。 桑の畑では、葉っぱを収穫すると、茎の部分だけが残るのですが、その姿が握りこぶしに似ているのです。 その当時は、東京・多摩にはこの桑畑が多く、冬にはこの光景がよく見られました。 その上を、砂川基地の米軍ジェット機が飛び交っていたのです。 桑畑にはジェット機は似合いません‼︎ 蚕のことを英語では、SilkWorm そのものずばりの言い方ですね。 では、繭は"Cocoon"発音はカクーンと言います⁉︎ *桑の葉をたらふく食べた蚕が、繭を作って、それを茹であげて絹糸を作り、日本の第一銀行や学校などの創立に貢献した、渋沢栄一公の音頭で、横浜港から輸出して、外貨を稼いだのは有名なお話しですが、全国的に桑畑が乱立して、農家も絹糸製作所もこぞって生産して、日本の絹糸は世界一品質が高く、交易でも高値が付いたそうです。 渋沢栄一公は第一勧業銀行の初代頭取としても、著名な御人ですが、日本国のために金融機関の発展や学校や企業の設立など、500以上も関わり、多く貢献された人物で、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。 また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。 令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定である。 また、令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。 お札の顔で知らない人はいなくなるのではないでしょうか? GSの皆さん!関心のある方は、 ネット検索で【渋沢栄一】と入力すれば、これらの詳細が掲載されています、どうぞご参考のために、とにかく、広範囲にわたって活躍された凄い人物です。 2020/42//past pm 07:00'//500「いいね!」651♡ 達成 by Kazyan’s Green Box Artistic flowers: mulberry:桑 2020/4/01//past am 09/30'shooting 2020/4/01//am 10:00' upload
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Kazyan
クワ:桑:mulberry (tree) 第一弾:桑シリーズ❣️ GSの皆さん!よく観てください⁉︎ ブドウの実のようなものが、いきなり桑の実の形状をして、新芽の袋から弾け出して姿を見せました。 “This is a mulberry baby!!” 我が万葉の藪庭を、陣取って大きく育っている桑の木に、桑の実の赤ちゃんが誕生していました! 花と同時に、既に実の形をしています。 毎年少しずつ大きくなって、桑の実もたくさん成り、いつも採って、生で食べたり、蜂蜜漬けやジャムを作って食べています。 ☆神話・伝承 古代バビロニアにおいて、桑の実はもともとは白い実だけとされるが、赤い実と紫の実を付けるのは、ギリシャ神話の『ピュラモスとティスベ』という悲恋によるこの二人の赤い血が、白いその実を染め、ピュラモスの血が直接かかり赤となり、ティスベの血を桑の木が大地から吸い上げて紫になったとされている。 ☆桑の弓、桑弓(そうきゅう)ともいい、男の子が生まれた時に前途の厄を払うため、家の四方に向かって桑の弓で蓬の矢を射た。 起源は古代中華文明圏による男子の立身出世を願った通過儀礼で、日本に伝わって男子の厄除けの神事となった。 桑の弓は桑の木で作った弓、蓬の矢は蓬の葉で羽を矧いだ(はいだ)矢。 養蚕発祥の地、中国においてはクワは聖なる木だった。 地理書『山海経』において10個の太陽が昇ってくる扶桑という神木があったが、羿(げい)という射手が9個を射抜き昇る太陽の数は1個にしたため、天が安らぎ、地も喜んだと書き残されている。 太陽の運行に関わり、世界樹的な役目を担っていた。 詩書『詩経』においてもクワはたびたび題材となり、クワ摘みにおいて男女のおおらかな恋が歌われた。 小説『三国志演義』においては劉備の生家の東南に大きな桑の木が枝葉を繁らせていたと描かれている。 日本においてもクワは霊力があるとみなされ、特に薬効を備えていたことからカイコとともに普及した。 古代日本ではクワは箸や杖という形で中風を防ぐとされ、鎌倉時代喫茶養生記においては「桑は是れ又仙薬の上首」ともてはやされている。 ☆桑原、桑原 雷よけの呪いとして広く使われた言葉であるが、最も知られている由来は桑原村の井戸に雷が落ち、蓋をしたところ雷が「もう桑原に落ちないから逃がしてくれ」と約束したためという説があり、これにはクワ自体は関わりがない。 しかし、諸説の中には宮崎県福島村(現在:串間市)でクワの上に雷が落ち、雷がケガをしたので落ちないようになったという説、沖縄県では雷がクワのまたに挟まれて消えたため雷鳴の折には「桑木のまた」と唱えるようになったという説もある。 ☆ことわざ・慣用句 滄桑の変、桑田滄海ともいい、クワ畑がいつのまにか海に変わってしまうような天地の激しい流転の意。 神仙伝が出典であり、仙女の麻姑が500年間の変化として話した内容から生まれた。 月日の流れの無常を示す言葉として、唐代の劉廷芝の詩にも使われている。 蓬矢桑弓(ほうしそうきゅう)元々は上記にある中華・日本においての男子の祭事や神事であるが、払い清めをあらわす言葉の比喩として万葉集や古事記にも用いられ、「蓬矢」・「桑弓」それぞれ単独でも同じ意味を持つ。 ☆桑中之喜(そうちゅうのき、そうちゅうのよろこび)畑の中で男女がひそかに会う楽しみのこと。 中国では、桑畑の中や桑の木を目印としてその下で逢引をしていたと言われ、『詩経』鄘風(ヨウフウ)篇には桑畑で美女を待つ「桑中」という詩が記載されている。 永井荷風の随筆にも、色事について書いた「桑中喜語」がある。 ☆利用 日本ではクワ/マグワの根皮はソウハクヒとも呼ばれ成分本質 (原材料) が専ら医薬品に指定されている。 葉・花・実(集合果)は「非医」扱い。 ☆生薬 ログワの根皮は桑白皮(そうはくひ)という生薬である。(日本薬局方による) 利尿、血圧降下、血糖降下作用、解熱、鎮咳などの作用があり、五虎湯(ごことう)、清肺湯(せいはいとう)などの漢方方剤に使われる。 また、葉を茶の代用品とする「桑茶」が飲まれていた地域もあり、現在も市販されている他、若くて柔らかい葉は天ぷらにして食べることもある。 桑葉には1-デオキシノジリマイシン(1-deoxynojirimycin; DNJ)が含まれていることが近年の研究で明らかになった。 DNJ はブドウ糖の類似物質(アザ糖類の一種、イミノ糖)であり、小腸において糖分解酵素のα-グルコシダーゼに結合する事でその活性を阻害する。 その結果、スクロースやマルトースの分解効率が低下し、血糖値の上昇が抑制される。 クワを食餌とする蚕のフンを乾燥させたもの(漢方薬である蚕砂)も同様の効果がある。 ☆果実 果実は桑の実、どどめ、マルベリー (Mulberry) と呼ばれ、地方によっては桑酒として果実酒の原料となる。 その果実は甘酸っぱく、美味であり、高い抗酸化作用で知られる色素・アントシアニンをはじめとする、ポリフェノールを多く含有する。 旬は4月~5月である。 キイチゴの実を細長くしたような姿で、赤黒くなる。 蛾の幼虫が好み、その体毛が抜け落ちて付着するので食する際には十分な水洗いを行う必要がある。 また、非常食として桑の実を乾燥させた粉末を食べたり、水に晒した成熟前の実をご飯に炊き込む事も行われてきた。 なお、クワの果実は、キイチゴのような粒の集まった形を表す語としても用いられる。 発生学では動物の初期胚に桑実胚、藻類にクワノミモ(パンドリナ)などの例がある。 ☆養蚕とクワ 桑を栽培する桑畑は地図記号にもなったほど、日本で良く見られる風景であった。 養蚕業が最盛期であった昭和初期には、桑畑の面積は全国の畑地面積の4分の1に当たる71万ヘクタールに達したという。 しかし、現在、養蚕業が盛んだった地域では、生産者の高齢化、後継者難、生糸産業全般の衰退の中で、株を抜いて畑等に転用されたり、放置された桑畑も多く残る。 クワの木は成長が早く、大きく育つが、幹の中が空洞であり、若い枝はカイコの餌にする為に切り続けてきたので製材できる部分が少ない。 養蚕業が盛んだった頃は、定期的に剪定等の手入れが行われていたクワ畑であるが、樹木としての利用は前述の様に、幹の中が空洞で製材できる部分が少ない故に、養蚕以外でのこれといって有益な、あるいは利益の高い利用法が無い。 放置された結果として、現在森の様になっている畑も多い。 しかも、こうなってしまった以上、前述の様に高齢化した管理者にとっては、これを整理することを物理的に更に難しくしている。 毛虫がつきやすい樹種でもある為、憂慮すべきことである。 このように養蚕業が衰退する中、利用される桑畑も減少し、平成25年2万5千分の1地形図図式において桑畑の地図記号は廃止となった。 新版地形図やWeb地図の地理院地図では、桑畑は同時に廃止された「その他の樹木畑」と同様、畑の地図記号で表現されている。 *他方、近年、クワの実が郷愁を呼ぶ果物として、注目を浴びてきてもいる。 ちなみに蚕が食べるのはヤマグワである。 ☆木材としてのクワ クワの木質はかなり硬く、磨くと深い黄色を呈して美しいので、しばしば工芸用に使われる。 しかし、銘木として使われる良材は極めて少ない。 特に良材とされるのが、伊豆諸島の御蔵島や三宅島で産出される「島桑」であり、緻密な年輪と美しい木目と粘りのあることで知られる。 江戸時代から江戸指物に重用され、老人に贈る杖の素材として用いられた。 国産材の中では最高級材に属する。 また古くから弦楽器の材料として珍重された。 正倉院にはクワ製の楽琵琶や阮咸が保存されており、薩摩琵琶や筑前琵琶もクワ製のものが良いとされる。 三味線もクワで作られることがあり、特に小唄では音色が柔らかいとして愛用されたが、広い会場には向かないとされる。 なお、幕末には桑の樹皮より綿を作る製法を江戸幕府に届け出たものがおり、1861年(文久元年)には幕府からこれを奨励する命令が出されているが、普及しなかったようである。 桑の樹皮から繊維(スフ)を得る取り組みは、第二次世界大戦による民需物資の欠乏が顕著となり始める1942年(昭和17年)ごろより戦時体制の一環として行われるようになり、学童疎開中の者も含め全国各地の児童を動員しての桑の皮集めが行われた。 最初民需被服のみであった桑の皮製衣服の普及は、最終的に1945年(昭和20年)ごろには日本兵の軍服にまで及んだが、肌触りに難があった事から終戦と共にその利用は廃れた。 ☆製紙原料 現在の中国新疆ウイグル自治区にあるホータン周辺の地域では、ウイグル人の手工業によって現在も桑の皮を原料とした紙(桑皮紙)の製造が行われている。 伝承では、蔡倫よりも古く、2000年以上の製紙歴史があると言われているが、すでに宋の時代(12世紀頃)、和田の桑皮紙は西遼の公文書等で使用されていた。 新疆では、清及び民国期の近代に至るまで、紙幣や公文書、契約書等の重要書類に桑皮紙が広く使用されていた。 中国の元王朝では、紙幣である交鈔の素材としてクワの樹皮が用いられた。 中国広西チワン族自治区来賓市などでは、養蚕に使うために切り落とすクワの枝を回収して、製紙原料にすることが実用化されている。 新たに年産20万トンの工場建設も予定されている。 ☆害虫 カイコガとその祖先とされるクワコ以外にもクワを食草とするガの幼虫がおり、クワエダシャク、クワノメイガ、アメリカシロヒトリ、セスジヒトリなどが代表的。 クワエダシャクの幼虫はクワの枝に擬態し、枝と見間違えて、土瓶を掛けようとすると落ちて割れるため「土瓶割り」という俗称がある。 クワシントメタマバエもクワの木によく見られる。 カミキリムシには幼虫がクワの生木を食害する種が極めて多く、クワカミキリ、センノカミキリ、トラフカミキリ、キボシカミキリ、ゴマダラカミキリ等が代表的である。 これらのカミキリムシは農林業害虫として林業試験場の研究対象となっており、実験用の個体を大量飼育するため、クワの葉や材を原料としソーセージ状に加工された人工飼料も開発されている。 なお、オニホソコバネカミキリも幼虫がクワの材を専食するカミキリムシであるが、摂食するのが農林業利用されない巨大な古木の枯死腐朽部であるため害虫とは見なされていない。 我が万葉の藪庭では、桑の木蔓延ってきており、外からは殆ど見えない位にら周囲は草木だらけなので、青天井を見ながら、ビーチ用のベットをひいて蚊帳を張り、ミスフラワーたちを招待して、チョイとイタズラな【桑中之喜」の宴と洒落てもイイかな⁈ 4月8日の"🌕super moon"を観ながら.…⁉︎ 日本の各地では昼間の時間帯になり、ひょっとしたら、見れないかも知れませんが…? 夜は闇夜でも、ともし火のムードがあって男女の宴にはかえってイイかも⁉︎ 怖いのはカミさんと夜行性のマムシです。 どちらも噛みつかれたら、命の危険にさらされますから…クワバラ桑原.…鍬:クワをそばに置いて、「桑の木また」🙏を唱えるということになるやも知れませんネ⁈ 粋狂な風流人の気分で、酔狂しては、すぐ近くの派出所のお巡りさんに通報されて、御用かな? これは田舎者の、大馬鹿な粋狂者の、お噺しですょ、独り言です‼︎ これも認知症の初期症状なのかも知れませんが…まだ大丈夫なようですけど…⁉︎ 歌でも歌いますか? GSの皆さんは、はたしてご存知かな? ♪桑畑の歌をご紹介します🎶 【桑畑】作詞:門倉 訣/作曲:関 忠亮 1.桑畑の しげる葉は   亡き母の 背におわれ   苗植えた 昔から   とぶ鳥さえ なじんでたが 2.桑畑は 今荒れて   爆音は ワラ屋根に   さける程 たたきつけ   桑畑は 吹きさらし 3.桑畑は 握りこぶし   振り上げて ならび起ち   畑守る この私と   芽ぐむ春を もとめうたう 4.春になったら 枝を伐り   かおる葉を カゴにつもう   むく鳥よ 高く舞い   このよろこび 告げてくれ ♡1957年日本のうたごえ祭典記念創作曲の一つ。 基地反対の闘い「砂川闘争」の中から生まれた。 農民の生活のしなやかさとしぶとさ、そして楽天性を香り高く歌いあげる叙情歌。 1956年10月の米軍基地拡張に反対し断念させた砂川闘争から生まれた歌。 測量を阻止しようと東京・砂川町民と支援者たちは座り込み、警官隊の暴行にも屈しなかった。 この時、故郷への愛情を通わせ合う「赤とんぼ」の歌が夕映えに同かって合唱となった有名なエピソードがある。 まず、芥川也寸志、小林秀雄らの作曲組曲「砂川」が57年日本のうたこえ祭典で全曲初演され、さらに、その土地に育ち耕す者の人間像を膨らまそうと「桑ばたけ」が作られた。 初演は農村のうたこえ祭典におけるアルト内田るり子とピアノ間宮芳生。 バス歌手アルトゥール・エイゼンは78年、30周年記念日本のうたこえ祭典で日本の合唱団合同500人と「桑ばたけ」を共演したが、この歌のロシア語訳も手がけている。 ☆ 小生は、♪桑畑の…亡き母の背におわれ🎶の始まりだけしか知りませんが、何故だか記憶にあるのです。 桑の葉は言わずと知れた「お蚕サマ」のお食事です。 東京にモスラが出現したときに、桑畑が全滅した⁉︎……ということはありません。 桑の畑では、葉っぱを収穫すると、茎の部分だけが残るのですが、その姿が握りこぶしに似ているのです。 その当時は、東京・多摩にはこの桑畑が多く、冬にはこの光景がよく見られました。 その上を、砂川基地の米軍ジェット機が飛び交っていたのです。 桑畑にはジェット機は似合いません‼︎ 蚕のことを英語では、SilkWorm そのものずばりの言い方ですね。 では、繭は"Cocoon"発音はカクーンと言います⁉︎ *桑の葉をたらふく食べた蚕が、繭を作って、それを茹であげて絹糸を作り、日本の第一銀行や学校などの創立に貢献した、渋沢栄一公の音頭で、横浜港から輸出して、外貨を稼いだのは有名なお話しですが、全国的に桑畑が乱立して、農家も絹糸製作所もこぞって生産して、日本の絹糸は世界一品質が高く、交易でも高値が付いたそうです。 渋沢栄一公は第一勧業銀行の初代頭取としても、著名な御人ですが、日本国のために金融機関の発展や学校や企業の設立など、500以上も関わり、多く貢献された人物で、それらの功績を元に「日本資本主義の父」と称される。 また、論語を通じた経営哲学でも広く知られている。 令和3年(2021年)に渋沢栄一を主人公としたNHK大河ドラマ「青天を衝け」が放送される予定である。 また、令和6年(2024年)より新紙幣一万円札の顔となる。 お札の顔で知らない人はいかくなるのではないでしょうか? GSの皆さん!関心のある方は、 ネット検索で【渋沢栄一】と入力すれば、これらの詳細が掲載されています、どうぞご参考のために、とにかく、広範囲にわたって活躍された凄い人物です。 by Kazyan’s Green Box Artistic flowers: mulberry:桑 2020//3/24//past am 07/30'shooting 2020/3/24//pm 14:50' upload
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