下関市彦島をご存知ですか?
すぐそばの巌流島は無人島なのに誰もが知っているのに対し、我が彦島は人口3万人近いのに誰も知りません(T_T) 本土と三カ所で繋がれていて気軽に訪れることのできる彦島を私たち夫婦と一緒に散歩してみませんか😉今回は日露戦争当時の遺構を中心にまとめてみました。
いつもの案内板です。今日は南の弟子待(でしまつ)方面に行きましょう。巌流島から師匠の小次郎が帰って来るのを虚しく弟子たちが待っていたとされる土地です😢
我が家から車でほんの15分ほど、もうこの辺りが弟子待です🚗青く見えるは北九州の山並み。手前は関門海峡です🚢
何の変哲もない町並み。
レトロなゴミ箱とネコ車。
今回の目的地のそばにも同型のゴミ箱。
凛とした美猫のお出迎え😍
味のあるトラ猫も😁
さあ、着きました。ここが目的地です。彦島の南東部、関門海峡に面した小さな遺構。
おっかなびっくりの妻の手を引いて、藪を踏み分け突堤へ。
先端部には立ち入り禁止🚧対岸は門司。この突堤は何なのか?
振り向いた山側には煉瓦造りのトンネルみたいなものが!
奥が分かるように撮りました(立ち入り禁止🚧なのでズームで)。行き止まりになっていますが、斜め上に向かう穴状のものが見えます。元々はさらに奥があったようです🧐
これは「彦島水雷衛所」の遺構です。
水雷とは水中で爆発する爆弾の総称です💣
ロシアのバルティック艦隊が関門海峡に侵入してきた際にこれを迎え撃つことを目的として作られました。
有線水雷と呼ばれる浮漂水雷や電気触発水雷を海峡に線状に幾つか敷設しておき、衛所で監視をしつつ敵艦が現れたら、視発弧器(照準器)で敵艦の方位測定を行い、敵艦の真下の水雷を電気的に爆破させるというものです。
壇ノ浦にも同様の施設があったようですが残っていません。
彦島水雷衛所はこのような施設だったようです。現在はトンネル部分と突堤だけが残っています。トンネルの奥に火薬庫があり、砲弾・水雷などを格納していたのでしょうね。
この突堤のそばには半円形の崩れた石組が。幕末、高杉晋作の時代、文久3年(1863年)に作られた弟子待砲台の台場跡のようです。晋作もここに立ったのでしょうね。
交通の要衝である関門海峡は昔から戦争と関わらざるを得ない土地なのです。幾多の悲劇を経て今の穏やかな風景がある。
海と雲 君と平和よ 久遠なれ ねこたんぽ
関門の 戦争遺構で ものおもふ 君に幸あれ 人に幸あれ 猫凡
突堤横を闊歩する平和の使者🕊
関門橋をバックに巨大な船と巌流島に向かう小さな定期船が競うように🌊
とんでもないサイズの船です😃
大小取り混ぜて1日500隻が行き交う海の難所。
《関門海峡豆知識》
●流速は鳴門海峡、来島海峡についで国内第3位。
● 最大流速約10ノット。1ノットは時速1.852km。
●一番狭いところで幅650m。
●一番深いところで水深47m。
●満潮時に西流、干潮時に東流が最強になる。
ああ楽しかった😊
帰りにもあのトラ猫が🐯
あの気品ある子も。wisdomという単語が妙に似合う子です🐈
今回の彦島散歩は如何でしたか?
あっ!植物が全くなかったですね(・・;)
まあ、私にはよくあること、今さら何を驚く?
気に入って下さったなら、また私たちのプチデートにお付き合い下さいね🤗
彦島、ロンブーの敦君の出身地では。
火野正平さんの自転車旅にも出ませんでしたか?
のどかで静かな島では?