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奈良シリーズの一覧

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【奈良シリーズ】    薬師寺・金堂  薬師寺金堂は、二層建てで、東塔と同じく、それぞれの層に飾り屋根である裳階(もこし)が付けられています。  その壮麗な姿は、「龍宮造り」と呼ばれ、薬師寺の伽藍の特徴です。  鳳凰が羽ばたく雄大な姿という形容もあります。  金堂は、昭和51年(1976年)に再建された建物なので、白壁と朱色がまだまだ色鮮やかで、とても美しいです。  薬師寺の御本尊は、薬師如来です。  創建当初から現存する御本尊・薬師如来像と左右の日光菩薩、月光菩薩の「薬師三尊像」は、 美しい仏像で、やさしい微笑みは安心を与えてくださいます。  薬師寺管主の説明によれば、薬師如来はお医者さん、日光・月光菩薩は昼間・夜間の看護師さんだそうです。  今では黒光りする薬師三尊像は、大きく、美しいです。 ◎今回のお寺巡りの中で、私がなぜ薬師寺を訪れたかったか。  薬師寺は、1300年の長い歴史の中で、東塔を除く建物が火災等により消失しました。金堂が消失したのは、1528年です。  薬師寺は、その後、仮金堂が建てられて御本尊が安置されましたが、終戦直後でも、東塔のほか、雨漏りのするみすぼらしい仮金堂しかなく、薬師寺にとって、失われた伽藍の復興は永年の悲願でした。  昭和43年(1968年) 当時の金堂再建費用は、10億円。  昭和42年に薬師寺管主、翌昭和43年に法相宗管長に就任した高田好胤和上は、悲願の金堂再建に向け、お写経を通した 「美しい心の再発見」 を呼びかけ、「できるだけ多くの人々が参加することによって、多くの人々が仏心に触れて幸せになってもらうことに意味がある。」と唱え、百万巻のお写経勧進を行ったのです。  簡単に言えば、100万人の人にお写経をしてもらい、1巻千円の納経供養料を収めてもらうことにより、10億円の金堂を再建するというものです。  人々にとっては、単なる寄付ではなく、心の修練としてお写経をして薬師寺に納めることが金堂復興につながるというものです。  企業からの資金援助は受けなかったそうです。  高田好胤管長のお写経勧進の結果、かつて修学旅行で薬師寺を訪れたたくさんの人々の理解も加わって目標の百万巻が達成され、昭和51年(1976年) 、 金堂が落慶されました。  高田好胤管長の言葉によれば、薬師寺金堂は、お写経を通してたくさんの人の美しい心が集まった、かけがえのないものになりました。  百万巻のお写経は、金堂内に納められています。  金堂の再建は、戦後最大の木造建築でした。  そもそも創建当時の金堂の設計図も写真もあるわけではなく、古文書に書かれた大まかな外形、発掘調査、東塔の造りを手がかりに設計図が書かれたそうです。  金堂建築の棟梁は、高田好胤管長の頼みで、法隆寺の宮大工が務めました。  棟梁は、金堂の屋根を支える隅木を組み上げる時、突然、設計図よりも5cm高く組む指示を出したそうです。  その理由は、屋根には重みがあるので、1000年後に設計図どおりの美しい曲線美になるだろうということだったそうです。  薬師寺でのお写経は、今では、高田好胤管長のお写経勧進以来、870巻を数えるそうです。  その納経供養料により西塔、 中門、 回廊、 大講堂などが復興され、創建当時の白鳳伽藍がよみがえりつつあります。  薬師寺の東塔は、奈良時代の創建当時の姿そのままであり、建築技術が高く、各時代の人々が守り抜いてきた証しでもあり、とても価値があり、素晴らしいと思います。  金堂は、再建されて美しいということよりも、高田好胤管長が薬師寺としての悲願達成のためにお写経勧進をし、それに応えてお写経を通してたくさんの人々の心が集まり、専門家が最高の技術を発揮した結果として、再建されたという点で、ものすごく素晴らしいと思います。    いにしえの 姿を伝える 東塔も  人々の 心でよみがえる 金堂も  今我々に 有り難きもの  御本尊とともに  千年のちまで 伝えたい  
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ロン
【奈良シリーズ】  法隆寺   西院伽藍前から見た    中門と五重塔   中門とは反対側から見た    金堂と五重塔  法隆寺といえば  聖徳太子ゆかりのお寺。  世界最古の木造建築群として知られる世界文化遺産です。  法隆寺は、「西院伽藍」と「東院伽藍」に分かれています。 ◇法隆寺「西院伽藍」  西院伽藍は、世界最古の木造建築群であり、国宝の中門、金堂、五重塔があります。 ◇中門  西院伽藍の本来の入口となるのが、中門です。  左右それぞれに、金剛力士像が配置されています。 ◇金堂  金堂には、本尊として、釈迦三尊像、薬師如来坐像、阿弥陀三尊像等が安置されています。  釈迦三尊像は、聖徳太子の等身大だそうです。  法隆寺金堂といえば、12面の壁面に描かれていた阿弥陀浄土図などの仏教壁画。  法隆寺金堂壁面は、1949年(昭和24年)の火災で焼損してしまいました。  現在、金堂にある壁画は復元されたものですが、焼け焦げた壁画は同じく焼け焦げた柱などと一緒に法隆寺内で保管されているそうです。 ◇五重塔  法隆寺の五重塔は、奈良時代初めまでに建てられた日本最古の塔です。  塔の中心を貫く「心柱」の下にある心礎に、釈迦の遺骨である「仏舎利」が納められています。 ◇法隆寺の歴史と聖徳太子信仰  法隆寺の現存する建築物は再建されたものだそうですが、それでも世界最古の木造建築物です。  推古9年(601年)、聖徳太子が斑鳩の里に斑鳩宮を造営し、亡き父用明天皇のために寺の造立を発願して、推古15年(607年)頃、法隆寺が創建されました。  法隆寺は「仏法興隆を推し進める拠点となる寺」でした。  しかし、聖徳太子は、推古30年(622年)、病のため、49歳で薨去され、その後、聖徳太子の一族も蘇我入鹿の軍勢に滅亡させられ、天智9年(670年)には、法隆寺が焼失してしまったそうです。  創建当時の法隆寺の場所は、現在の法隆寺敷地内の、今も塔の心柱の台となる「塔心礎」が遺る「若草伽藍」と呼ばれる非公開の場所です。  人々は、法隆寺焼失後も、聖徳太子を敬い、信仰し、聖徳太子の浄土を表現するために金堂を再建し、五重塔、中門、回廊なども再建し、遅くとも8世紀・奈良時代の初頭までには、飛鳥時代の様式で「西院伽藍」が整えられました。  一方、聖徳太子が造営した斑鳩宮も荒廃していたが、天平11年(739年)頃、太子の菩提を願って宮跡に「夢殿」が建立され、これを中心とする建築群が「東院伽藍」です。
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【奈良シリーズ】  信貴山(しぎさん)朝護孫子寺の   聖徳太子像   御神木     樹齢1500年の榧(かや)の木 ◆信貴山と毘沙門天  信貴山は、毘沙門天王が日本で最初にご出現になった霊地と言われ、毘沙門天王信仰の総本山です。  毘沙門天は、七福神の中でも福徳随一といわれます。  また、毘沙門天は、四天王の一尊に数えられる武神であり、多聞天とも呼ばれます。 ◆聖徳太子と寅のお寺・信貴山 ○信貴山の案内によりますと  今から1400年程前、蘇我馬子が仏教の普及に努力しようとしたが、物部守屋がこれに反対し、これらの対立抗争が長く、苦しい激戦となっていました。  聖徳太子は、物部守屋の討伐の際、この山を訪れて戦勝の祈願をすると、天空に現れた毘沙門天王から、必勝の秘法を授かりました。  このお陰で物部守屋に勝利した太子は、自ら毘沙門天王のお姿を彫刻し、伽藍を建て、信ずべき貴ぶべき山として「信貴山」と名付けました。    毘沙門天が現れたのが寅の年、寅の日、寅の刻であったことから、寅が信仰されるようになり、信貴山は「寅のお寺」とも呼ばれます。  また、平安時代、朝廟安穏・守護国土・子孫長久の祈願所として「朝護孫子寺」と呼ばれるようになりました。 ◆神木・榧の木  御神木のかやの木は、樹齢1500年だそうです。   ◆聖徳太子像  お寺で聖徳太子像を拝観したことは何度かありますが、武将のような聖徳太子像は、初めて見ました!  聖徳太子が仏教を広めたという前提というか裏には、武将としての姿もあったのですね。
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【奈良シリーズ】  奈良の長谷寺   五重塔   境内の大木   歌人紀貫之の歌  山腹に配置された伽藍の中で、五重塔が美しく佇んでいます。  登廊の脇には、大きな杉の木🌲が参拝者を見守っています。  抜きん出て立つこの木の高さが、千年以上の歴史を物語っていると感じます。 百人一首35番歌   人はいさ 心も知らず    ふるさとは   花ぞ昔の 香ににほひける  この歌は、平安時代の歌人紀貫之が久しぶりに奈良・初瀬の長谷寺へお参りに行った折りに詠んだ歌です。  短歌で「花」と言えば桜の花を指すことが多いですが、この歌の「花」は梅の花です。  もう少し季節が進むと、梅の香が漂うのでしょうね。  ちなみに、百人一首で桜の花を詠んだ歌は、次の6首です(なお、もみじを詠んだ歌も6首)。 9番歌  花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに 33番歌  ひさかたの 光のどけき 春の日に   しづごころなく 花の散るらむ 61 番歌  いにしへの 奈良の都の 八重桜  けふ九重に にほひぬるかな 66番歌   もろともに あはれと思へ 山桜  花よりほかに 知る人もなし 73番歌   高砂の 尾上の桜 咲きにけり  外山の霞 立たずもあらなむ 96 番歌   花さそふ 嵐の庭の 雪ならで  ふりゆくものは わが身なりけり
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【木の実シリーズ】    奈良・春日大社神苑「萬葉植物園」にある、食べられる実を集めてみました。   梨    ナツメ   桃🍑   栗🌰 梨  好きです!  ただ、今年は、自分で買ってないです。バナナばかりを買っていますよ😅   ナツメ  懐かしい😍     子どもの頃、近所の八百屋さんで、子どもの小遣いで買いやすいよう小分けして売ってくれており、よく買って食べました。  大きくなって以来、長く食べていないです。  売っているところも、見ないですね。 桃🍑  冷やして頂くと、おいしいですね。 栗🌰  栗と言えば、私は、栗ごはん🍚  生で食べるのも好きです。     子どもの頃、栗ごはんを炊く日は、父と山に栗拾いに行き、イガを外して持ち帰り、祖母と母が栗を剥いてくれていました。  私は、横で、剥いた生の栗を食べ、コリッと歯ごたえがあり、甘味があって、おいしいと思ったのを覚えています。  剥いた栗を私が食べていたのではいつまでも栗ごはんを炊けないので、「もうやめときや。」と言われたのは、言うまでもありません。  これらの実  私が萬葉植物園を訪れてから、1か月半が経ちました(投稿しそびれてしまいました😅)。  途中で落ちずに、順調に実っていてほしいです。  誰が食べるの? 鳥たちのお腹に入るなら、自然の摂理ですね! もうすぐ10月。 季節の移り変わりが早いと感じます。 体調を整えて、仙台、宮城県、東北の秋を楽しみたいです!
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【奈良シリーズ&今日の花】   桔梗(キキョウ)  桔梗の花言葉   「永遠の愛」「気品」  紫の桔梗の花言葉   「気品」  白の桔梗の花言葉   「清楚」 お花のイメージにぴったりの素敵な花言葉です。 上の写真は、桔梗のつぼみ。 花びら同士が風船のようにつながっています。桔梗の英語名は   "balloon flower"  です。 桔梗のつぼみの写真を探したら   仙台・野草園 で撮った写真がありましたので、ご紹介しました。 万葉集で詠まれる「朝貌(あさがほ)の花」は、桔梗を指すことが多いそうです。 そこで、下の写真では 奈良の春日大社神苑の    萬葉植物園 で出会った桔梗をご紹介しました。 桔梗は、青紫色の星形のお花のほかにも、白色、ピンク色、八重咲きといった園芸種の花もありますね。 桔梗の野生の品種は、近年、草原が減って、絶滅危惧種に指定されているそうです。 素敵な花、そして、素敵な花が咲く自然を大切にしたいものです。 桔梗は、古くから、秋の七草の一つとしても、親しまれています。 秋の七草は、奈良時代、歌人山上憶良が詠んだ  秋の野に 咲きたる花を   指折り(およびをり)  かき数ふれば   七種の花  萩の花 尾花葛花   撫子の花  女郎花 また藤袴   朝貌(あさがほ)の花 という万葉集の歌が始まりと言われます。 この「朝貌の花」は、桔梗を指すそうです。 春の七草は平安時代以降ですので、秋の七草の方が先に意識されたのですね。 春の七草は、邪気を祓い、無病息災を願い、さらには、胃を休め、冬場の野菜不足を補うなどのために、七草粥として頂くのが一般的です。  これに対し 秋の七草は、見て楽しむのが一般的です。 また、ススキ以外の6種は薬効があり、桔梗の根は、桔梗根として生薬に利用されています。 私は、風邪をひくと、いつも生薬入りの滋養強壮剤を飲んで、温かくして寝ます。 秋の七草の覚え方はいろいろあるようですが、私は、語頭語尾のつながりで覚えられるよう、五七五七七の歌で覚えました。 ■秋の七草  はぎ ききょう   くず ふじばかま     おみなえし  おばな なでしこ     秋の七草 春の七草には、江戸時代に作られた和歌があります。 ■春の七草  せり なずな   ごぎょう はこべら    ほとけのざ  すずな すずしろ   これぞ七草 野菜が不足する冬(春先)は、春の七草などの若菜が貴重だったようです。 若菜を摘む“若菜摘み”を詠んだ歌は、百人一首にも選ばれています。  君がため 春の野に出でて    若菜摘む  わが衣手に   雪は降りつつ      (光孝天皇)
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【奈良シリーズ】    春日大社神苑「萬葉植物園」にある  臥龍のイチイガシ(一位樫)  イチイガシは、ブナ科の常緑高木です。  案内板によりますと  「イチイガシは、春日大社境内に、イチイガシ巨樹が多く生育している」 とのことです。  そして  「萬葉植物園の池中央の御神域(中の島)には、まるで臥竜(臥した竜)のような姿を見せるイチイガシの巨樹があります。  苔むした主幹は、かつて大風のために倒れたが、その後起き上がるように枝を伸ばして現在の姿になっています。  倒れてもなお生きようとする姿は、自然の尊い神秘と太古からの時の流れを感じさせます。」 とのことです。  「臥龍」と言えば、寝ている龍、地に潜み隠れている龍のことであり、中国の「三国志」に登場する「諸葛孔明」は、まだ志を伸ばす機会がなく、潜み隠れている英雄という意味で「臥龍」に例えられたそうですね。  私も、まだまだ、活躍のチャンスをうかがう「臥龍」でありたい🤔🤗❗😎❗  こういう意味の「臥龍」は、「鳴かず飛ばず」に似ている気がします。  「鳴かず飛ばず」とは、ずうっとうだつが上がらない、ダメなさまの言葉のイメージがありますが、元々、中国故事では、「大いに活躍する機会を待って、長い間じっとしていること。」を意味します。  「三年も飛ばず、鳴かない鳥は、いったん飛んだら天を突くばかりに高く飛び、いったん鳴いたら人を驚かすような勢いだろう」という話が続くのです。  写真は、臥龍のイチイガシですが、臥龍の「梅」もあります。  徳川家康が植えた梅が「臥龍梅」と呼ばれたり  静岡県に「臥龍梅」と呼ばれる地酒があり  宮城県・松島の瑞巌寺には、伊達政宗公が朝鮮半島から持ち帰った紅白の梅があり、「臥龍梅」と呼ばれています。
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【奈良シリーズ&木の実シリーズ】      ザクロ 先月、帰省したとき、初めて  春日大社神苑 萬葉植物園 に行きました。 万葉集に詠まれた植物「万葉植物」等を植栽する国内最古の萬葉植物園だそうです。 残念ながら、花の季節が終わっており、また、閉園の1時間前にようやく着いたので、十分見られませんでした。 それでも、たくさんの木の実に出会いました。 9月に入り、秋が近づいてきますので 実りの秋になりますよう 皆さんが充実しますよう 木の実を投稿しようと思います。 青空を背景に、ザクロがたくさんの実を付けていました。 左下は、すみませんが、萬葉植物園のザクロではなく、先週、仙台での散歩で見かけたもので、これから実になっていきます。 子どもの頃、奈良の実家の庭にザクロの木があって、登ったり、実を食べたりしていました。 すっぱいけど、甘みがあり、やめられないんですよね。 木に登っていると、祖母が「危ないで~」と言ってくれたのも、懐かしい。 ザクロの実は、今では、美容と健康にうれしいスーパーフードなどと言われているようです。 私にとっては、懐かしい思い出の木であり、実です。 今でも、実がたくさんなっているザクロの木が頭に映像で浮かんできます。 家族に結びついている懐かしい思い出です。   思い出 思い出は   心の中に無限に広がる   いつも心に    いつも目の前に いつも切ないけど  いつでも温かくしてくれる
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