季語は四季折々の風情を愛でる日本文化の象徴です。季語に含められる動植物を中心に、写真付きの俳句歳時記風にまとめた「季語シリーズ」、今回は秋の第十一回です。猫凡という俳号で自作の句を入れています。
【鳥兜】
キンポウゲ科の山野草で、美しい深紫の花のイメージとは裏腹に全草に猛毒アコニチンを有す。
わが中のユダ夕影の鳥かぶと 金箱戈止夫
亡父の声グレイもありと鳥兜 猫凡
※自句自解:トリカブトには強毒アルカロイドが含まれていますが、子根を附子、母根を烏頭として薬用に用いられます。腎気を高め、気血の巡りを強力に促進してくれる重要生薬です。猛毒が薬になるわけで、善悪、白黒は付け難い。血気盛んな高校生の頃、寡黙な父が「白黒付けん方が良いこともあるぞ」とボソリと忠告してくれた、鳥兜の蕾を見ながらそのことをふっと思い出したのです。「ちちのこへ グレイもありと とりかぶと」
【青蜜柑】
完熟前のミカンで、フレッシュな酸味を楽しむもの。子供時代の私はこれが好物でした。
傷兵の生きて目に見る青蜜柑 加藤秋邨
青蜜柑酸ひと感じて老ひを知り 猫凡
【すすき(芒、薄)】
イネ科の代表的野草で秋の七草の一つ。一面の芒原も、床の間の一輪も趣深いものです。
片仮名でススキと書けばイタチ来て 金原まさ子
芒原あの日と同じ風が吹く 猫凡
【柿】
アジアを代表する落葉樹の一つ。里古りて柿の木持たぬ家もなし(芭蕉)の通り、日本の里山を象徴する木でもあります。
柿二つ読まず書かずの日の当り 小川双々子
もぐ人は亡く陽のあたる庭に柿 猫凡
【野菊】
山野に咲くキク科の総称で、ヨメナ、ノコンギクなど沢山の花を区別せず呼べる便利な言葉です。
自負すこし野菊の畦に腰かけて 平岡千代子
※「増殖する俳句歳時記」の解説が素晴らしいので転載させていただきます。
『作者が「野菊の畦(あぜ)に腰かけて」いるのは、今である。が、ここには今にとどまらない時間が流れている。小さかった頃から、こうやって畦に腰かけては、いろいろな夢を描いてきた。それらの夢の実現には自負もあったし、今もある。野菊の畦は、そういう時間が流れてきた場所なのだ。野菊は昔から秋になると同じ姿でここに咲くから、少女時代の夢も自負も、ここに腰かければはっきりと思い出すことができる。思い返せば少女のころの夢も自負もが、とてつもなく大きいものだった。かなわぬ夢とも、無謀な望みとも思ってはいなかった。それが大人になって世間に馴染んでくるにつれ、夢は小さくなり、自負もためらい気味に「すこし」と感じるようになった。野菊は昔のままに咲き、私はもう昔の私ではない。しかし「すこし」にせよ、秘めたる夢と自負はあるのだ。作者はあらためて、自分で自分を励ましている。諦観を詠まずに、希望を歌っているところにうたれる。救われる。大人の健気とは、こういうものだろう。飛躍するようだけれど、実にカッコよい』
あるがまま野菊に勝る菊は無し 猫凡
【カンナ】
中南米原産の多年草で、直立する太くて高い茎、大きく艶やかな葉、原色の花、全てが生命力に溢れています。
胸深く朽ちよカンナを供花となし 三橋鷹女
※ねこ流解釈:鷹女ほどカンナを詠んだ俳人はいないでしょう。全くの妄想ですが、紅いカンナの花を燃え上がる生命の炎のように捉えていたのではないでしょうか。激情型の彼女にはそれが時に慕わしく時に疎ましく感じられ、様々なカンナの句として結実したと想像します。死が迫っていることを悟った鷹女は、情熱の花カンナを供花(くげ)として葬られることを願ったのでしょう。鮮烈な辞世の句です。
赤錆びた廃線脇にカンナ立ち 猫凡
【梔子(くちなし、しし)の実】
タコのようなこの実は、香り高いあの白い花からは想像しにくいもの。胸の熱を冷ます重要生薬であり、加味逍遙散、黄連解毒湯などに配されています。
降り出して梔子の実に韻く雨 高澤良一
わだかまり化石となりて梔子一つ 猫凡
【秋の海】【秋の浜】
秋の海とは夏に比べて色に深みを増し、幾分波高い海、秋の浜とはひと気がなくなった寂しい浜、と歳時記にあります。
水際の水透きとほり秋の海 島崎伸子
叫べども見る人もなし秋の浜 猫凡
【紅葉】
主に広葉樹が落葉前に葉の色を紅く変える現象。日照が弱まり、気温が下がると光合成の効率が悪くなるため、葉緑素クロロフィルを分解して枝に栄養として送るのですが、落葉までは少ないとはいえ光合成がなされています。クロロフィルが少ないと紫外線で葉がダメになってしまうので、アントシアンを新たに生成して、落葉までのわずかの間も葉を守るのだと考えられています。紅い色はこのアントシアンに由来します。
酒さめて去る紅葉谷一列に 島将五
紅葉の下にすっくと消火栓 猫凡
【黄葉(くわうえふ、もみじ)】
イチョウや団栗の木の葉が秋に黄色に染まる様。紅葉よりも暖かみを感じます。アントシアンを作らない植物では葉に元からあるカロチノイドの黄色が表に出てくるわけです。
風も日も村も銀杏の黄葉中 水田むつみ
広き世の一隅照す黄葉哉 猫凡
【月蝕】
地球が太陽と月の間に入ることで月が翳る現象。2022年11月8日は日本各地で観測されました。月蝕自体は季語ではないのですが、単に月といえば秋ですから、単に月蝕といえばやはり秋で良いと考えます。
月蝕の幽かにからすうりの花 落合伊津夫
吾妹子の唇紅く月の蝕 猫凡
蒼白き頬も包めよ月の蝕 猫凡
【郁子(むべ)】
アケビに近いツル植物で常緑。雌雄同株で花は小さく愛らしいものです。果実はアケビに似ますが自然に裂けることはありません。新芽と果肉は食用になります。
郁子の実や墓地へゆく道母の道 浜芳女
郁子成らずただ天指して伸びて在り 猫凡
【銀杏黄葉(いてふもみじ)】
生きた化石と言われる銀杏。美しい黄色に染まった扇形の葉を一面に降らせ、世界を秋に染める。
落暉あび銀杏の大樹黄葉降らす 道部臥牛
陽の光灯して清し銀杏の葉 猫凡
【蟋蟀(ちちろ、こほろぎ)】
蟋蟀、蛬、蛩、蛼、様々に表記されることからも、この虫と人の深い関わりが伺われます。鳴き声を愛でるのはもとより、闘蟋(とうしつ、つまりコオロギ相撲)、家畜やペットの飼料、ひいては人間の食糧にまで、コオロギ世界は拡がりを見せています。
こほろぎのこの一徹の貌を見よ 山口青邨
女房の尻に敷かれてちちろなき 猫凡
※自句自解:コオロギのオスはメスの前で盛んに鳴きます。翅を擦り合わせて出す音が最もメスに響くようにするのでしょう。ピアノを聴くなら響板の前が最高ですよね。うっとりしたメスはしずしずとオスを受け入れると思いきや、何とオスに馬乗りになるのです!その瞬間にオスは精子の詰まった袋(精嚢)をメスのお尻にくっつけるのでした。「なき」は鳴きと泣き、どうとでも読めるよう平仮名にしました。
「にょうぼうの しりにしかれて ちちろなき」
【烏瓜】
ウリ科のツル性多年草。スズメガ専用の夜開く妖しの白花は、いつしか秋の薮で一際目立つ橙色の果実に。若葉や青い果実は食べられるそうです。塊根を乾燥させたものを王瓜根(おうがこん)といい、発熱、便秘、黄疸、利尿、閉経、母乳の出の悪い時に用います。
よき日和烏瓜見に犬連れて 飛高隆夫
からすうり時おり停まる人もおり 猫凡
【蔦紅葉】
ブドウ科ツタ属の落葉ツル植物で、常緑のキヅタ(フユヅタ)と区別すべくナツヅタと呼ぶことも。壁一面の紅葉の美しさは格別です。
トルソーの冷え身に移る蔦紅葉 横山房子
蔦紅葉三枚ばかりしがみつき 猫凡
【蔦紅葉】でもう一句。
蔦紅葉我朽ちようと君生きよ 猫凡
【紅葉かつ散る】【色葉散る】
紅葉した葉が一枚、二枚と落ちてゆく。多くはまだ枝に残っているのに。そんな明と暗を含んだ季語。
定年やもみじはらはらうらおもて 八木忠栄
人知れずかく終わりたし色葉散る 猫凡
【紅葉かつ散る】でもう一句。
つた桜共に色付き共に散り 猫凡
【秋夕焼】
秋は夏に比べて地温が下がるので、汚れた空気が舞い上がりにくく、大気の状態が安定して風が弱くなるので空気が澄み、夕焼けにも透明感が出てきます。日暮れが早くなるので、なおさら貴く感じます。
洗ひ髪秋の夕焼に濡れゐたり 山口誓子
亡き人も犬猫も染め秋夕焼 猫凡
いかがでしたか?「季語シリーズ」は能う限り続けてまいります。次回もどうぞお楽しみに。
普通の色のみかんだけが出回るようになるとちょっと寂しく感じます。
ところで、紅葉といえば、テレビで紅葉実験ヲヤやってたので、システムどうだったか多田多恵子さんの本を読み返してしまいました。
葉っぱの窒素そのまま捨てるのは勿体なさすぎるということで、隅から隅まで利用できるようになってるのですね。
ヒトも見習わなくちゃ🤔