山形県には、4つの日本遺産があることを以前に
お伝えしました😌
1、出羽三山「生まれかわりの旅」
4、山寺が支えた紅花文化
に続き、順不同になりましたが、今回 鶴岡市の
3、サムライゆかりのシルク
として、かつて庄内藩の藩士たちが刀を鍬に替えて、開墾に携わった場所✨『松ケ岡開墾場』を訪ねました✨
今から148年前、サムライたちが命懸けで携わった歴史の歩みをご一緒に、辿ってみませんか…?🙇
プロローグ✨
文化庁が平成29年に認定した、山形県で
3番目の日本遺産は、
「サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ」✨
時代をさかのぼること
1868年(慶応4年)戊辰戦争が起こり、酒井忠篤(ただずみ)を藩主とする庄内藩は、幕府軍に付き、新政府軍と戦いますが降伏開城🏯し、藩主は東京芝の清光寺に謹慎しました✨
その後酒井氏は、西郷隆盛の教えを受け、後に
鶴岡市松ケ岡の開墾を奨励し、推し進めていくことになります✨
ストーリー概要✨
山形県鶴岡市を中心とする庄内地域は、旧庄内藩士が刀を鍬に替えて開拓した
松ケ岡開墾場の日本最大の養蚕群をきっかけに国内最北限の絹産地として発達し
今も養蚕から絹織物まで一貫工程が残る
国内唯一の地です✨
鶴岡市では、松ケ岡以外にも六十里越古道沿いの田麦俣集落に、四層構造で暮らし・養蚕などが一つの建物にまとまった多層民家が現存しています✨
さらに、国内ではここだけの精練工程が明治時代創業の工場で行われるなど、絹産業の歴史、文化が保存継承とともに、新たな絹の文化価値の創出にも取り組んでいます✨
鶴岡を訪れると、先人たちの努力の結晶である我が国近代化の原風景を街並み全体を通じて体感することができます✨
(文化庁 ホームページより)
刀を鍬に替えて✨
松ケ岡開墾場は、
1872年(明治5年)、旧庄内藩士が原生林を切り拓き、苦労の末、開墾を成し遂げた土地です✨
藩士3000人が、刀を鍬に替えて
約300haを開墾し、3年後には、10棟の大蚕室を建造しました✨
そして、現在も松ケ岡本陣をはじめ
5つの蚕室が現存しています✨
侍による開墾事業は、後にシルク産業に発展し、鶴岡のみならず、庄内の近代化に大きく貢献しました✨
松ケ岡開墾記念館✨
記念館内には、資料や当時の機具等が展示されています✨
おかいこさんの生態✨
オブジェも…かわいい(ノ≧▽≦)ノ💕
美智子皇太后さまも、長年、蚕のお世話をなさっていることが知られています✨
今は、雅子皇后さまが引き継がれました✨
記念館を出て、旧庄内藩士たちの苦労に思いを馳せるとともに、明治時代にタイムスリップしたようで、しばし 呆然と
5棟の蚕室を見つめる私なのでした…😌
長々と最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました🙇
歴史と一緒にありがとうございます😌
藩は違いますが米沢藩の尊敬する上杉鷹山の心が山形には残っているんですね😭🍀