少し変わった名前を持つミヤコワスレ。漢字では「都忘れ」と書き、悲しく、寂しいような花言葉を持っている日本とは馴染みの深い花です。
今回は、ミヤコワスレの花言葉や種類、特徴を紹介していきます。
ミヤコワスレ(都忘れ)の花言葉
ミヤコワスレには、「しばしの憩い」や「しばしの慰め」、「しばしの別れ」という花言葉があります。この花言葉の由来には、鎌倉時代に承久の乱で敗北し佐渡に流された順徳天皇が関係しています。
ミヤコワスレを見て「少しだけでも都のことを忘れられる」と慰められたそうです。それが「しばしの慰め」の花言葉に繋がっています。
またこのほかにも、「また会う日まで」や「短い恋」という花言葉もあります。
ミヤコワスレ(都忘れ)の基本情報
- 学名
- Gymnaster savatieri
- 科・属
- キク科・ミヤマヨメナ属
- 原産国
- 日本
- 別名
- 深山嫁菜(ミヤマヨメナ)
ミヤコワスレ(都忘れ)の由来
ミヤコワスレの英名はGymnaster(ジムナスター)で、別名野春菊(ノシュンギク)や東菊(アズマギク)ともいわれています。Gymnasterはギリシャ語で「裸の」という意味のGymnouと「アスター属」という意味に当たるAsterを合成させた言葉です。
学名ではGymnaster savatieri(ギュムナステル サウァティエリ)またはMiyamayomena savatieri(ミヤマヨメナ サウァティエリ)と呼ばれています。
「ミヤコワスレ(都忘れ)」はミヤマヨナメの園芸品種に付けられた和名です。これには、1221年に鎌倉時代に起こった、承久の乱にて敗れた順徳天皇の言葉が由来しています。
鎌倉幕府を打倒しようとした後鳥羽上皇の兵が、北条氏により敗北してしまいます。後鳥羽上皇の息子、順徳天皇は佐渡に島流しされることになります。
都を離れるときに庭に咲いていた小さく可愛らしい花を見つけ、「いかにして契りおけん白菊を都忘れと名づけくるも憂し」という詩を詠みました。
後鳥羽上皇も白菊を好んでいたといわれており、島流し先で都忘れという名を付けることで、より皮肉なものであると嘆いておられるのです。歴史とともに歩んできた都忘れは現在でも栽培愛好家などで栽培されています。
ミヤコワスレ(都忘れ)の花の特徴
ミヤコワスレの花は、野菊のように小さく可憐な姿をしています。色もたくさんあり濃い紫やピンク、青の混ざった淡い紫、赤紫、白などです。
春から初夏に差し掛かる6月までが、ミヤコワスレの開花時期となります。
ミヤコワスレ(都忘れ)の種類、品種
ミヤコワスレは日本に自生するミヤマヨメナの園芸品種です。本州や四国、九州の山地に自然に育っています。ミヤコワスレは江戸時代から品種改良されてきた歴史ある植物です。
春には花が咲く多年草で、切り花としても利用されています。野菊に似た花を咲かせるのでキク科と言われてもうなずけます。
花の色によって品種名が異なります。例えば、代表的な濃い紫色の花には、江戸紫があります。
ピンクの花には、浜乙女や桃山という品種名があります。青色が混じった薄い紫色の花には、青空という名前がついています。
浜乙女は桃色の可愛らしい花を咲かせます。みのる紫という品種もあり、ミヤコワスレの中で最も大きな花を咲かせます。
濃い青色をしています。さらに品種が違うと草丈も20cmのものもあれば70cmにも伸びるミヤコワスレがあり、バリエーション豊富です。
ミヤコワスレ(都忘れ)は歴史ある花
悲しいような寂しいような花言葉があるミヤコワスレを紹介してきました。古くから伝えられてきた歴史的な花です。
いまとなっては種類も増え、多くの園芸品種が生み出されているミヤコワスレを育ててみても良いかもしれませんね。
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